Bits Archive: July 2006

July 1, 2006

スカラ座の非合理性に驚く


6月ですね。エンドユーザーとのコミュニケーションということでブログを開設してまる8ヶ月が経過しましたが、ここ2ヶ月くらいは夥しいジャンクTBとコメントの攻撃に晒されています。


28日ミラノ、スカラ座のオペラ・シリーズ今夏初日公演はヘンリー・パーセルの「ディドとエネアス」をクリストファー・ホグウッドが演奏するというので注目していた。ネットでチケットを購入しようとした際、あいにく手頃な価格帯で並びの席がなくて、70ユーロのひとつ飛ばしの席があったので、ステージにも近そうだし、これで良いかと処理を進めたら、後日ちゃんと郵送でスカラ座からチケットが届いた。


そこまでは良かったのだが、当日会場に出かけてみて自分の無知さ加減を思い知らされることになる。所謂アリーナ席以外はすべて4名ずつのボックス席になっていて(写真で見ても判るよね)、当然ながら我々は一人ひとりが別の箱に分かれることになった。しかもどちらの席もボックス後方のドア寄りで舞台方向の壁に沿っているので、そのままではまるで舞台が見えないのだ。演奏会でステージの見えない席があると言うことは全く想定外だった。


 左下が私の席


 席から見える風景


幸いと言うか、カミさんの方はテネシーから来た3人組のおばさん達と、僕はイギリスからの3人組と同席となって、挨拶した後そこそこうち解けた会話などしたので、みんな適当に席を動かしたりして、僕も上手方向だけ半分にも満たない舞台が辛うじて見える位置を確保した。



「ディドとエネアス」はカルタゴ女王がトロイ王子との恋と戦いの板挟みに苦悩する古典演劇の題材を元にしたオペラで、今回の舞台演出は極めて抽象的且つ現代的だったのと、バレエがマシュー・ボーンの流れを汲むようなこれもモダンなパーフォーマンスがなかなか印象的だった。とは言っても中央から下手で踊られても何も見えないよと言うことも多く、頭の中では早々と視覚的な部分は切り捨てて演奏だけに集中することにした。ホグウッドの演奏は何も言うことがないくらい見事で、古楽器編成によるアンサンブルの特徴的なくすみ加減の響きにリュート、オルガンが加わり、充実感の高い鑑賞となった。この点では席が近くて良かったのかも知れない。


本来その昔、テアトルに来るのは演目鑑賞が目的でもなくて、社交的・ゴシップ的な空間だったり、前の2席に主賓が陣取って後部席はお付きの者だとか親だとかが付き添うための席だったのかなと考えれば、舞台に気を取られてはいけない席として作られていたとしても納得するしかないと思った。でも21世紀の今、それを1万円以上も取って売るのはどうかとも思う。教訓としては、スカラ座に行くならアリーナ席、でなければなるべく正面のボックス席、要するに安くはないということでした。






July 3, 2006

アルハンブラ宮殿でモーツァルト生誕250年、ハ短調ミサ曲


半年前の1月、サンフランシスコでのガーディナーのコンサートのことをブログに書いたが、スペインのグラナダでは毎年「音楽と舞踏の祭典」という催しがあって、2006年はガーディナーとEnglish Baroque Soloistsが招聘されていてモーツァルトを演奏するという情報をモンテヴェルディ合唱団のサイトでつかんだ。


演奏は3夜あって、交響曲、レクイエム、ハ短調ミサ曲。会場はアルハンブラのカルロス5世宮殿と聞いて、食指が動いた。4月初旬のチケット解禁日当日、あいにく僕は本社出張中だったので、カミさんにネット購入を頼んでおいた。まずミサ曲を抑えにかかったもののなかなかネットに入れず悪戦苦闘したそうだが、90分くらいかけて何とか2枚のチケットを手に入れた。その後レクイエムにトライしたときにはすでに完売とのことだった。


これを目玉にアルハンブラ詣での旅でグラナダにやってきた。


7月2日、開演は夜の10時半。写真は10時頃の宮殿前の風景だ。スペインの夏は暑い。3-6時くらいがピークで、9時になってようやく一息つける感じだから、こちらの感覚だと妥当な時間帯と言える。




アルハンブラ宮殿のナルス宮はイスラム最後の王朝が13世紀末からレコキスタンの流れの中で建てた、イスラムによるスペイン統治時代の栄華を残す見事な宮殿だが、隣接するカルロス5世宮殿は16世紀に入ってここを新婚旅行で訪れて惚れ込んだカルロス5世が自ら宮殿建築に走ったものの、資金が続かず未完成に終わったのがこの建物だ。
ローマひいてはヨーロッパ様式で中は円柱で囲まれた円形の空間になっており、周辺の屋根部分が組まれたのは20世紀に入ってとのこと。今回のコンサートを聴いていて、音響的には単純な壁面反射があり、弱音部は良いがフォルテの音が総じてきつく聞こえるように感じた。


さて、演奏のことに話を進めたいが、演奏会が終了してホテルに戻ったのが0時半、続きは次回別途続報ということに。




July 4, 2006

アルハンブラ宮殿でモーツァルト生誕250年、ハ短調ミサ曲 - Part 2

こんな気候の中でも、スペインでは夜の催しには正装して出かける人が多い。流石に夜9時を過ぎると涼しくなって、僕もジャケット着用で出かけたが、会場で東洋系の観客は見かけなかった。恐らく大半は地元の観客でそれに欧米からの訪問客が加わっていると思う。日本からピンポイントでここを目指すというのはかなりマニアックだったかも知れない。それでも0泊3日のワールドカップ観戦ツアーよりは余程普通の旅行だと自分では思う。


この日のハ短調ミサはいつもより遅いテンポで動き出した。サンフランシスコで感じたような心を揺さぶられる衝動はないが、演奏は同等の質を維持して始まった。ソリストも同じ女性だ。曲がさらに進むと、所々でいつもと違う聞こえ方に感じるフレーズなどがあって、僕はガーディナーの演奏は毎回新しい発見ができるものなのかなあと思っていた。
Et incarnatus estでは、曲のテンポが一段と遅く、ソプラノのソロがそれをゆったりと歌い込む。もしかするとこれはスペインということで、マリア信仰の篤いご当地に敬意を表してミサ曲のクライマックスがこのソロ曲に来るよう着想したのかなと考えた。


ところがその後、ミサ曲は全く聞いたことのない曲に変わっていくという、その夜の驚きが始まった。曲によっては全体の構成をより劇的に聞かせるものもあり、またはモーツァルトらしく思えないものもある。我々の周囲でも落ち着かない様子の観客がちらほら散見される。「これはいったい何なのだ・・・」という素朴な不安を抱きながらの鑑賞が進む。結局、曲の後半、Credoを含むSanctus以降の大半がまるで新しいモーツァルトのハ短調ミサ曲だった。



それでも演奏が終わると観客は熱烈な拍手を送っていたし、やはり演奏自体は素晴らしいものだった。当日の簡素なパンフレットをざっと眺めてみると、全部スペイン語なので詳しくは分からないが、Robert Levinが1947年に編集・完成させた版による演奏ということで、1795年の他の曲からパーツを組み立てたりしているらしいことが判った。これはまた勉強しなくていいけなくなった。
会場を出るところでペンライトが配られていたので我々も勿論いただいておいた。アルハンブラの丘から坂道を歩いて下ると街まで15分くらいだ。シャトルバスもまだあるようだが、我々はそのまま歩くことにした。裁きの門に向かう階段で足元のおぼつかない老夫婦がゆっくりと慎重に下りていたが、石段が全くの暗がりだったので付き添っていた老婦人にペンライトをひとつ差し上げた。


アルハンブラ宮殿はイスラム人が丹誠を込めた建造物、見晴らし、庭園のすべてについて、その美の精緻に息を呑む連続で、ここまで来た甲斐があったというものだし、ガウディの原型もここに発見できると実感したほどだ。その中にあってカルロス5世が挑んだ宮殿作りは単なる未完の異物としか見えないが、アルハンブラという場所で、モーツァルト生誕250年を記念して、特別な演奏に立ち会えたというのは無類の幸せと思う。





July 9, 2006

ウィンブルドン

ウィンブルドンセンターコートの外には巨大スクリーンがあって、センターコート観客席に入れなかった人たちも芝生に座って試合が観戦できる。



太っ腹な計らいだけど、こんな配慮ができるんだったら、僕は毎年禿げ上がったコートで決勝を戦っている選手がかわいそうで、センターコートでの試合は準決勝以降のみとかに限定すればいいのにと以前から思っていた。100年もこれでやっているんだからと気にしていないのかも知れないし、あるいは集客効率の面でそれはできないのかも知れない。

さて、今年の女子シングルス決勝はフランスのアメリがやっと勝ちました。先行逃げ切りタイプのエナン・アーデヌはこの試合30分でガス欠に陥ってしまったのか、何しろ第2セットの入り方が異常に悪かった。僕の目にはそこで雲行きが一気に変わった。第1セットがあまりに完璧だったため、緊張が緩んでそれまでの蓄積疲労が心身を支配してしまったのだろうか。そのまま第2セットは総じてミスの繰り返しという、決勝戦としては低調な試合で、緊張感が戻ったのはファイナルセットの6ゲーム目くらいから。僕としてはヒンギスが勝ち上がれなくて残念。でも前日のフェデラーは強かったですね。




July 15, 2006

ヒラリー・ハーンのバッハ

サンフランシスコのレコード店でヒラリー・ハーンのCDを2枚仕入れた。きっかけはモーツァルトのバイオリン・ソナタで、僕にとっては昔からハスキル+グリュミオーの名盤以外は要らないと思っている選曲を最近売り出し中の若手女性バイオリニストがどう料理するのかなと興味を持ったところから、同じ彼女がバッハの協奏曲をアルバムとして出しているのも知ったので、これはまとめて聴いておこうと考えた。


© Deutsche Grammophone


バッハはロサンゼルス室内管弦楽団との協演だが、このオケのことは知らない。一言で言えば荒っぽいくらい疾走するオケであまりニュアンスに富む演奏ではなかった。フレージングが、何かポピュラー音楽を聴いているような軽さを感じるところがあるんだよね。今時はそういう売り方のクラシックというか、女性アーチストがよくいますよね、テレビとかで。最近、同じ曲目の諏訪内晶子のアルバムを聴いているので、対比してそう感じたのかも知れない。でもとても元気な演奏でした。ヒラリーは米国産なので音楽界での期待は大きいだろうなと思う。

この独グラモフォンのアルバムはSACDサラウンドのトラックもある2層ディスクなので、帰ったら会社の視聴室でLipinskiのスピーカーでちゃんと聴いてみようと思う。





July 20, 2006

諏訪内晶子のバッハ

諏訪内晶子は1990年のチャイコフスキー・コンクールを放送で見た時、この子はすごいなあと思って以来注目していたバイオリニストだ。コンクールに優勝した後も周りのチヤホヤを避けるように海外で黙々と勉強に専念するなど、とても堅実な精神の持ち主のようで、僕としてはその頃からバッハを弾いてもらいたいと思っていた。


© Philips


その諏訪内が昨年ようやくバッハに取り組むようになったというニュースは耳にしたものそのまま忘れて演奏会にも行かず、この春にiTMSでアルバムを見つけて試聴したらなかなか良さそうな演奏だなと思って、レコード屋に行く間も惜しくてその場でダウンロードした。
彼女は中庸であることの美徳を頑なに主張し続けている演奏家というのが僕の見立てだ。エキセントリックなところが微塵もなくて、ひたすら普通にしていることがいかに大切で、そこには実は如何ともしがたい均衡した美が存在するのだということを演奏で納得させることのできる貴重な音楽家だと思う。それは揺るぎない構造が彼女の音楽にバックボーンとしてあるからで、バッハを聴いてみたいと思うのもそんなところからだった。
演奏は常に慎ましく、しっかりとしていて、健全な優等生と言うこともできるかと思うが、「音楽は楽しい」という確信を誰にでも素直に振りまいてくれるのが天性の魅力というのか、聞いていて心和むバッハだった。


ところでいつの間にかお医者さんと結婚していた彼女が今年に入って内臓疾患で活動休止して、パリから故郷に戻って休養しているそうだ。早く復帰して元気な「普通の」姿を見せていただきたいですね。






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さらに続く・・・